変わり続ける「BAPE」の
ブランド価値

March 29th, 2007  W. David Marx
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14年前の4月、2人の日本人が専門学校を卒業し、23歳という若さで専門知識もほとんどないまま、原宿の静かな裏通りで小さなブティックをオープンさせた。ブティックの名前は「ノーウェア(NOWHERE)」。物件の大きさや立地にぴたりとフィットする店名だ。そのうちの1人、高橋盾(JONIO)は自らが立ち上げた前衛的パンクブランド―Under Coverの商品を店の半分で売り、もう半分は後のインターナショナルスーパーブランド・A BATHING APE(BAPEのトータルディレクターとなるNIGO(長尾智昭)が担当していた。開店当初の数ヶ月、NIGOの売場ではadidasやその他のセレクトインポートグッズが売られていたが、高橋のレーベルの大ブレイクがプレッシャーとなり、NIGOは自分のオリジナルブランドを作って差別化をはかる必要性を感じていた。そこで友人であるグラフィックデザイナー・スケートシングとのブレストによって、映画「猿の惑星」にちなんでゴリラの顔をビジュアルアイコンとした「A BATHING APE IN LUKEWARM WATER」というブランドが生まれた。

それから2年、原宿で売られているTシャツの半分がその猿の顔になるほど売れ、BAPEの成功は日本における裏原宿スタイルブームの先駆けとなった。(裏原宿スタイル:「カジュアルなストリートファッション」「奇抜」「セレブも着ているような、高価なデザイナー・ファッション」をまぜたような服装)。90年代、BAPEは国内で成功をおさめ、必然的に海外からも賞賛の声があがった。その後の数年間、BAPEの商品はNIGOの音楽・グラフィック関係の仲間の作品と同様、海外でしか見つけることができなかったので、限定商品が出た際にはその希少性から「究極の賞品」として神話的な地位を獲得するに至った(ちなみに、2000年頃の「The Face」誌では、BAPEは「真のアンダーグラウンド」と言われ、日本で強大な地位を築いているブランドであると掲載された)。しかし、2002年にロンドンで開催された「BUSY WORK SHOP」から、BAPEの商品は「超レアな、内輪向け商品」から「アメリカのヒップホップ界に君臨するエリートが着るもの」、そしてMTVのどのビデオにも出るくらい、つまり「小道具」的なアイテムというレベルまで変貌を遂げ始めたのである。

NIGOは自分のポジションをマーケティング的観点から構築しているわけではないだろうが、「A BATHING APE」は日本市場において典型的なケーススタディーとして確立されている。NIGOはデザイナーではなく、そのような肩書きを主張することもない。彼の成功はマーケティングやビジネスにおける天性のスキルから生まれたものであって、つまり彼が何を「つくる」かというよりは彼が「何を」「どうやって」売ったのかということに起因しているのだ。

日本には西洋のポップカルチャーや昔のSF映画を扱うTシャツメーカーがおそらく10,000社くらいあるが、NIGOは衣服に関わるすべてのライフスタイルをつくりあげるために、有名人とのコネクションをメディアに流通させることによって大きな影響力を獲得してきた。そしてBAPEはアパレルだけにはとどまらず、NIGOと親しいミュージシャンのライブやコレクション・トイ、そしてセルフプロデュースメディアを生み出すまでになった。洋服の販売は直営店のみ。NIGOはBGMから建築(協力・Wonderwall)、わざと小振りな店舗にすることで行列を生み出す演出、コワめのスタッフの採用など、店づくりのすべてを自らコントロールした。自分のブランドを既存の消費サブカルチャーに合わせるのではなく、NIGOは自らのやり方を自身で発明したのである。そして、若者たちはそれに従ったのだ。

大変革の2001年

BAPEの成功は、あらゆるところで「前衛的(アングラ)」というブランドイメージを強調する、「限定品の提供」「隠れ家的な店舗の建設」「決まりきった広告手法の拒否」という3つの戦略の上に成り立っていた。このやり方は1993年から2001年までの間は驚くほどに効果があったのだが、BAPEがPepsi(ペプシ)とコラボレートしたことですべてが一夜にして変わってしまった。ブランドのトレードマークであったエイプカモ(猿の顔を迷彩柄に組み入れたもの)が北海道北部の小さな町から沖縄のビーチにある小屋といったすべての地域の自動販売機に登場したのだ。これは、多くのニーズを集めるTシャツやジーンズであっても商品化はしないというスタイルを追求したNIGOが、ついにはブランドの日用品化=大衆化を受け入れたということを意味している。当時、ペプシが日本では言わば「部外者」的なポジションにあったこともあり、その動きは「裏切り」ではないと主張する声もあったが(Relaxについての記事を参照)、このことはBAPEの新章の始まりを顕著に表している。NIGOはもはやブランドが巨大化していくのを恐れてはおらず、その野望によって彼は、所有するすべての会社の戦略を変えていった。

2003年頃、NIGOはザ・ネプチューンズ(The Neptunes)のファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)と親しくなり、そのつながりによってBAPEブランドはアメリカのヒップホップ界でのマストアイテムとなった(特にBAPESTARシリーズのスニーカーやカラフルな迷彩柄のフードがついた洋服)。 90年代当時は「マス・マーケット(巨大市場)」になると考えて意図的に無視していた、そのアメリカでBAPEはヒット商品となった。NIGOは2000年代初期までに「マス・マーケットと距離を置いた、前衛ブランドを築きあげる」という信条を捨て、「短期間で巨額の売上を上げること」に価値を置くようになっていったのである。限定商品を出し続けていることからもわかるように、彼は依然アメリカのヒップホップ市場にくぎ付けであった。しかし、ひとたびルビコン川を渡ってしまった彼は、市場のニーズに応じることに躊躇することはなくなった。

堕ちて行くブランド

NIGOはこの変化を「ブランドの成長・拡大(メジャー化)」と正当化しているが、この新たな方向性は不運なことに彼の全てのブランドイメージを帳消しにしてしまった。以下に挙げるポイントが、このブランドが経た変遷の概略である。

消費者―明らかにマス・マーケットになってしまったことにより、「A BATHING APE」で「安全な排他性」を買っていると思っていた流行の先駆けである若者たち、つまり、コアベースとなる顧客をNIGOは失ってしまったのだ。さらに、かつてNIGOが中国で商品を売り始めた際には、日本のファンは自分たちよりも「ダサい」者たちによってそのブランドが消費されていると考えていた。いまやBAPEファンのベースは一流のアメリカン・ラッパーであるが、ヒップホップ・サブカルチャーに身を置く日本の若者の多くは、市場におけるBAPEのかつてのポジションを知りすぎていて、洋服を通して自分らしさを出すときにBAPEを選ぶことはなくなった。日本人しか身につけていないブランドだったのに、いまや自分達の範疇を完全に超えるほど、世界的に普及してしまったからだ。

供給面―NIGOは中国市場に進出した当初、とても慎重であった。最初に香港で開店した際には、「予約販売のみ」という体制をとっていたが、中国語圏でのブランド紹介が原因で中国や韓国の偽造者によるフェイク品が大量に出回るという事態を招いてしまった。著者の記憶では、2000年の時点では「eBay」というECサイトで「A BATHING APE」のTシャツは最高で3点しかなかった。今日では2,000点以上のアイテムが出回っているが、本物はほとんどない。偽造問題が発生したことで、「量が少ないのは質がよいから」というブランドの品位が凋落してしまったのだ。

店舗展開―日本では、全国の主要都市ほとんどに(さらには小都市にも)ビジーワークショップ(Busy Work Shop)がある。海外ではニューヨーク、ロンドン、香港、台北にあり、今後はロサンゼルスにも展開していくようだ。以前は、東京の限られた場所にしか店舗はなかったが、今ではBAPEの関連ショップが過剰と言っていいほどオープンしている。美容室の「BAPE CUTS」、喫茶店の「BAPE CAFE!?」、そして子供服「BAPE KIDS」など。しかし、残念ながら、いずれも客はほとんど入っていない。ここまでくると、BAPEの商品を購入しても、その特別感や排他的優越感を得ることはもはやない。

確実に言えるのは、「A BATHING APE」といえども、アンダーグラウンドなイメージの維持とマス・スケールでの商品流通を同時に行なうことは不可能だったということである。また、進むべき方向の選択肢が残されていなかったゆえに、NIGOはブランドをマイナーチェンジしたとも考えられる。NIGO自身も「時代が変わってしまった」と発言しており、「限定モノ」が90年代のちょっとしたムーブメントだったと認めている時点で、彼には正しい現状認識があると言える。しかし、90年代の潮流でもあった「排他性」はBAPEの核であった。そして、彼の商品にDiorのような金額をつくことはないので、供給のコントロール(あるいはコントロールしているように見せる)という不自然な企みを捨てることは、高級品が売れるために必要とされる「排他性」の減退を意味している。短期間で成功をおさめるためのマーケティングと、継続性のあるブランド価値を生み出すことは正反対である。BAPEはもはや「落ち目」だとみなされる一方で、NIGOはここ5年間、ブランドそのものの消滅を回避すべく躍起になっていたようだ。

よく知られるように、かつては週末にBAPEの服をみるのに長蛇の列ができていたが、今では東京の店舗はたいていガラガラで、人で賑わっていてもそれは中国人旅行者である。(しかし、郊外の店舗は明らかに大きなファンベースを持っているようだ)

90年代の日本のファッション誌編集者たちは、毎年ひそかに『「A BATHING APE」は"死んだ”』と言ってきたが、そのブランドはより一層強くなっていった。私(著者)はBAPEがある種の終わりを迎えたとは言いたくないが、「ブランド価値」という真の観点からすれば、BAPEは完璧な模範例からメッセージとイメージの寄せ集めに変わってしまったと言うほかない。このことから、日本において「ブランド力」というのは市場の反応に依存しながら機能するものだということがよくわかる。

2 Comments »

  1. Bape は中国で売ってないんです…
    中国人はあんまり裏原宿に行ってないんですよ、香港と台湾のほうが多いです…

    Comment by pchoimarz — May 26, 2007 @ 9:11 am

  2. 翻訳の問題でした。「Chinese」=「中国人」としか翻訳されていなくて、誤解を与えてしまいました。
    英語で「Chinese」というと、「中国系」という意味を指すので、台湾人、香港人も含まれています。
     

    Comment by W. David Marx — May 28, 2007 @ 10:02 am

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